池部塾 芳村思風語録

『感性論哲学へようこそ』

.「芳村思風語録」

●人間を決定するもの考え方ではなく、感じ方が、人間を決定する

●哲学とは哲学は時代を興す原理である。
新時代を告げる歴史の胎動は、哲学的信念の確立と共に始まる。
現代に生き、未来を知らんとする者は、まず、新しき哲学の門を叩け!●新しい時代今、まさに一つの時代が終わろうとしている。
二十世紀の理念に生きた巨星が、一人また一人とその輝かしい時代に別れを
告げて去って行く。世界の文明は、あらゆる分野において危機に直面しており、
深まり行く混迷の中で人々は不安に包まれている。終焉とはさみしい言葉である。
喜びは短く、悲しみは長い。喜びは努力しなければ得られないが、悲しみは努力なしにやって来る。人生とは、その大半が苦から楽への、悲しみから喜びへのプロセスである。
人間の価値は、このプロセスそのものにどれ程の生き甲斐を見い出し得るかにかかっている。
世界は、今後、苦しい不安定な動乱期を経験しなければならないであろう。
しかし、それは決して悲しむべき時代ではない。むしろ、動乱期こそ最も素晴らしい時代である。
すべてのものがそこから生まれ、あらゆる新しいものへの可能性をはらんだ生き甲斐のある時代――世界中の若人が待ちに待った、夢多き時代がやって来たのである。●東洋の逆襲西洋中心主義
西洋から東洋への文化の流れが、西洋の停滞を機に大きく変化し、
文化は今、東洋から西洋へと流れ始めた。いよいよ東洋の逆襲が始まったのである。そして、21世紀には、東洋の中心である日本の時代が到来し、
日本民族は、人類史上、第三の過渡期を担う民族として、次の二つの大事業を行う。
一、近代科学技術文明を、その質において完成させて終わらせる。
二、近代に代わる新しい時代を創るための原理を創造し、世界に発信する。●人生哲学の基本原理人生は、意志と愛のドラマである。
人間は皆、愛ゆえに生き、愛のために死ぬのである。
意志ゆえに生き、意志のために死ぬのである。
意志と愛の結合が、人間であり、人生である。愛の世界は、親子の愛を縦軸とし、男女の愛を横軸として、その骨格が形成されている。意志の世界は、自我(人類の意志)を縦軸として、職業(社会的使命)を横軸として、その骨格は成り立っている。この意志と愛を共に実現する事が、人生の目的である。そして、人間生命の本質である意志と愛を努力して実現せんとするところに、生き甲斐もまた、生まれるのである。●助け合って生きるための学問誰も、この苦しみを、気持ちをわかってくれない。誰も俺の事を本当にはわかってくれない。
この思いは、誰の胸にも、死ぬまで付きまとうものである。
人間は、本質的に、根元的に、誰でも、皆、さみしいのである。孤独なのである。
しかし、また、人間は、この誰にも理解されない心を抱えて、人と共に生きて行かなければならない存在である。そこで、人間は、人と共に生きる為に、人に語りかけ、話し合い、理解し合えるように努力するのである。いや、努力しなければならないのである。
なぜなら、みんな同じ人間であるからだ。
この、孤独である人間が互いに理解し合おうとし、その為に、全人類に共通する真実を求め、
それを手がかりに助け合って生きようとする努力、これこそが他ならぬ哲学なのである。
主義主張で対立する事が哲学なのではない。●世界に雄飛する日本哲学への想い日本人の哲学的思想的原理が「感性」であるとすれば、
感性論哲学は、正に日本人による日本精神の哲学的な自覚表現であり、
真の日本哲学の誕生を意味するものであると言い得るだろう。理性を柱とした西洋文明が行き詰まりを露呈している現在、感性を柱とした日本の哲学は、
単に日本哲学であるのみにとどまらず、世界文明の打開という見地からすれば、世界的思潮にまで成長しなければならない必然性を持つということができる。民族としての国家的思想の確立が、真のその民族の国際社会における自立を意味し、
それこそが国際社会における自覚的活動の原点であるとすれば、
世界の先進国の仲間入りをし、
経済大国となり、世界を指導するブレーンの一角を担う重責を
あずかり得た日本は、今こそ自覚的に自らの思想と行動の原理を日本的感性に置き、
感性論哲学の体系に支えられた論理と確信に立って、
世界の舞台に雄飛しなければならない時を迎えていると言って過言ではない。日本人は今、民族の哲学と言い得る、地に根の生えた、血肉となった思想を、
自覚的に持って行動することを、世界から要求されているのである。

 

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